2004年度アカデミー賞受賞映画『ミリオンダラー・ベイビー』はごらんになりましたか? ともに寂しさを抱えながら夢を追う女子ボクサー“マギー”と老トレーナー“フランキー”の、人間同士の絆を描いたドラマ。テーマの奥底までをすぐに理解するのは、ちょっと難しいかもしれませんが、とりあえず、ヒラリー・スワンクの“ボクサーぶり”に拍手を送りましょう。運動神経抜群の女優さんとして知られる彼女。“ミリオンダラー・ベイビー・トリビア”によると、猛特訓で20パウンド(1パウンド453グラム)も筋肉をつけたとか。そのステップワークや上体のムーブメントなどは本物のボクサーもびっくり!の動きだったんじゃないでしょうか。
さて、この映画の題材である“女子ボクシング”ですが、日本ではいったいどれくらい認知度があるでしょう。エクササイズとして女性がサンドバッグを打つようになったのは20年以上前と言われていて、96年には有志によって全国規模のスパーリング大会が開催されました。世界の趨勢に抗いきれず、2002年に日本アマチュア・ボクシング連盟が女子部門を創設。正式に女子アマチュア・ボクシングがスタートしたわけです。でも、プロの世界ではいまだ、日本ボクシング・コミッション(JBC)は女子ボクシングを認めていません。ボクシングの世界では、一つの国に一つのコミッション(米国は各州)しか認めないという原則があって、日本で行われるプロボクシングは、すべてこのJBCの管轄下である必要があります。ですから、99年から日本女子ボクシング協会(JWBC)という団体が“女子プロボクシング”と銘打って行っている興行は、JBCの記録に残りません。クシングではない」、ということになるのです。JWBCが“女子プロボクサー”に戦う場を与え、彼女たちの技術向上を促進したことはまちがいないのですが…。
これは、あくまで日本の話。欧米では、女子の試合がふつうに男子と同じ興行の中で行われます。同一コミッションの管轄下で行われているということです。先日、メキシカンが多く住むエリアに、ボクシング興行を観に行ってきたのですが、そこでも女子の試合が一つ、組み込まれていました。7戦6勝1敗の長身の技巧派と、8戦6勝2敗の突進型の試合は、両者がハイレベルな攻防を展開して場内なかなかの盛り上がり。結局長身のボクサーが6ラウンド判定勝ちで7勝目をあげました。ちなみに『ミリオンダラー・ベイビー』の“マギー”も、アスレティック・コミッションからライセンスを交付されたプロボクサー、という設定です。
そして、私がよく訪ねるボクシングジムにも一人、“ミリオンダラー・ベイビー”を目指す女性がいます。デミ・ウィンという名のママさんボクサーで、“マギー”が“フランキー”の元に教えを請いに行った時と同じ、32歳。元警察官の彼女はもともとボクシングが大好きで、一年半前、「私はボクシングの世界チャンピオンになれる」と直感してジムに通い始めたといいます。私がデミを最初に見たのは1年前で、正直、ぎこちない動きの彼女がプロを目指しているとは思いませんでした。が、ディフェンスワーク、コンビネーションブローもしっかり見につけて、みごと“ボクサー”に変身。「ボクシングは、フィジカルのチェスマッチでしょう。一つ一つのテクニックを身に着けて戦えるようになるには、1年以上、時間がかかるのよ。私は最初っから、プロになって、チャンピオンになろうと思って、毎日練習していたわ」とデミは全身から汗を滴らせながら、自信に満ちた表情で言います。そして、「でも、それもダブというベスト・トレーナーがいてくれるからね」と。
ダブ・ハントレー、今年65歳、カリフォルニア州ボクシング殿堂に名を連ねる名トレーナーが、デミにボクシングを一から教えた人物です。60年代に世界を転戦し、世界ミドル級9位まで上がった元ボクサー。世界挑戦を視野に入れた途端、眼疾で引退を余儀なくされた辛い経験を持っています。それでもなお「ボクシングを愛しているし、ボクサーを愛しているよ。じゃなかったら、この仕事はしていないね」と言う彼の言葉は、とても重く響きます。
そんなダブ・ハントレーの名前は、ある本の中に登場します。『Rope Burns』というボクシングを題材にした短編集(現題は『Million
Dollar Baby』)です。この本の一ページ目には、「永遠の父キリストと、私のボクシングの父ダブ・ハントレーに捧ぐ」とあります。これはダブの無二の親友ジェリー・ボイド氏がF.X.トゥールというペンネームで書いたフィクションで、その中に“ダブ”を映したトレーナーを何人も描いています。ジェリーにボクシングのいろはから教えたのがダブで、その後20年にわたって、二人はパートナーとしてリングのコーナーにいました。その本の中の一編が、“ミリオンダラー・ベイビー”です。ジェリーは本が完成した時、ダブに「これでお金ができたら、二人のジムを持とう」と言って手渡したそうです。が、彼は2002年に心臓の病気で亡くなりました。今年、アカデミー賞アワードにジェシー夫人とともに招かれたダブは、映画の受賞を喜びながら「I
miss him」と感じていたといいます。
いつも陽気で人がよく、誰からも愛されるダブは、毎日、自分の教え子たちが待つジムからジムへと、車を飛ばして回ります。「ボクサーは毎日練習する。トレーナーはそれをいつも見ていなくちゃいけない。毎日毎日一緒に練習して、トレーナーとボクサーのいい関係が生まれるとボクは思ってる」。日々ともに練習して、信頼関係が出来上がってはじめて、試合の時、リングで戦うボクサーにトレーナーの声が届く、ということです。「リングの上では一対一だけど、私の後ろにはダブがいるから、4つの目が相手を見ているのと同じなの」とデミは言います。
デミのデビュー戦は7月9日。かたい信頼関係で結ばれた女子ボクサーとトレーナーは、これからどんなストーリーを描いていくのでしょうか。
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